【コラム】ガラス瓶の歴史とは?ガラスにまつわる歴史についても紹介
ガラスには長い歴史があり、生産が始まったのは約5000年前と言われています。歴史について学ぶことで、普段の生活に欠かせないガラス瓶をより身近に感じられるでしょう。
今回は、ガラス瓶の歴史について紹介します。
まずは、ガラスそのものの歴史から学んでいきましょう。
・天然のガラスは石器時代から使われていた
ガラスの起源に、前身となる「黒曜石(こくようせき)」という天然のガラスがあります。黒曜石は、ガラスが人工的に作られる前の石器時代、槍や弓矢の矢じりの一部として、主に狩りで使用されていました。
・誕生は約5000年前
ガラスの誕生時期については諸説ありますが、今から約5000年前、メソポタミア文明発祥の地であるチグリス川、ユーフラテス川の流域で作られたのが最初と言われています。以前は誕生の舞台と思われていたエジプトのガラスも、実はメソポタミアから伝来したという説が有力です。ただし、紀元前15世紀頃から始まるガラス容器の製造に関しては、エジプトが最も発展していたと考えられています。
・ガラスの生産が進化した古代ローマ時代
日本にガラスが伝来した紀元前1世紀頃、古代ローマでは細長い鉄パイプの先端に溶けたガラスを付け、息を吹き込んで膨らませる「吹きガラス」の製法が開発されました。以降、ガラスの生産量は格段に増加し、それまで高級品であったガラスが庶民にも行き渡るようになったと言われています。
吹きガラスは現在でも行われている製法で、主に瓶や容器の成形に用いられています。
・ガラスの器が作られたのは紀元前16世紀頃
ローマで吹きガラス製法が発明されたのを皮切りに、ドイツ・フランス・イギリスを中心とする西ヨーロッパでは、独自のガラス製造技術が発展していきます。
紀元前15世紀を過ぎると、ステンドグラスやレースグラス、鏡が流行し、装飾品としてのガラスが人気を博しました。紀元前16世紀頃にはガラスの器が作られ、ガラスの実用的な面が注目されはじめます。
・無色透明なガラスが誕生したのは17世紀
現在のガラスの大きな特徴として無色透明なことが挙げられますが、16世紀までガラスは透明ではありませんでした。無色透明なガラスは17世紀に誕生し、主原料であるソーダ灰を木炭と酸化マンガンに変えることにより、質の高い無色ガラスが作れるようになったと考えられています。
諸外国に比べ、日本でガラスが知られ始めたのはやや遅く、海外からの伝来が始まりとされています。日本でのガラスの歴史も紐解くことで、ガラスへの理解がより深まるでしょう。
・日本への伝来時期
日本にガラスが伝来したのは、紀元前1世紀頃の縄文時代です。現在、日本で確認されている最古のガラスは、弥生時代中期のガラスビーズであり、中国からシルクロードを渡って伝わったものと推定されています。弥生時代後期には、南インドや東南アジアからも輸入されるようになり、当時の遺跡からガラス勾玉(まがたま)を作る鋳型が多く出土しています。この事実から、日本では約2000年前に、ガラスの加工を始めていたことがわかるでしょう。
日本のガラス製造は、平安時代になって一旦は衰退するものの、江戸時代以降再び隆盛し、人々のガラスに対する意識が実用性へとシフトしていきました。
・ガラスの別称
日本では、ガラスを「瑠璃(るり)」や「玻璃(はり)」、「ビードロ」、「ギヤマン」などの別称で呼ぶことがあります。ガラスがさまざまな名で呼ばれるのは、伝わってきた国の違いによるものであり、初めて伝来したときは瑠璃・玻璃という名前でした。ビードロはポルトガル語の「Vidro」、ギヤマンはオランダ語の「Diamant」がなまったもので、どちらもガラスを意味しています。
・「硝子」の由来
ガラスは漢字で「硝子」と書きますが、これは原料である「硝石(しょうせき)」が由来です。明治元年に、日本初の洋式ガラス工場だった「品川硝子製造所」が使い始めたことがきっかけで定着しました。
日本でガラス瓶が流通し始めたのは比較的記憶に新しく、明治時代に入ってからのことです。ここからは、明治から現代に至るまでの日本のガラス瓶の歴史を見ていきましょう。
・日本にガラス瓶が輸入されたのは1868年頃
日本にガラス瓶が輸入されたのは1868年頃で、イギリスやドイツ、アメリカからビールを輸入し始めたのがきっかけです。約2年後にはワイン・リキュール・ブランデーなどの洋酒も輸入され、日本においてもガラス瓶が徐々に馴染み深いものとなっていきます。
・国産の瓶が作られたのは1889年頃
明治時代の1889年頃には、日本で初めて国産ビール瓶が作られ、牛乳にも細口のガラス瓶が使われました。1901年になると、一升瓶の清酒が流通し始め、後の大正後期~昭和初期にかけて瓶の国内生産が本格的に行われはじめます。
・リユースが始まったのは1870年頃
1870年、洋酒の輸入と同時に、使用済みの空き瓶を買い取って売る商売が生まれました。これが現代におけるびん商の起源であり、リユースやリターナルびんの始まりとも言えるでしょう。
・リサイクルへの取り組み
1974年になると、それぞれのガラス瓶メーカーがリサイクルに積極的な姿勢を見せ始めます。
ガラス瓶の生産が最盛期を迎えた昭和当時は、ガラス瓶を洗って繰り返し使うことが一般的でした。しかし、ライフスタイルの多様化により、1度しか使われない瓶(ワンウェイびん)が登場します。ワンウェイびんは、回収して粉砕することでカレット(ガラスくず)になり、新しい瓶の原料に使用されます。同時期に日本製壜(せいびん)協会では、リサイクルシステムの確立に向け、カレット処理場の設置や回収ルートの拡大などを始めました。
・エコロジーボトルの登場
ガラス瓶のカレット使用率は、平成に入ると飛躍的に増加します。1991年には、混色カレットを100%利用したエコロジーボトルが生まれ、回収した無色・茶色以外の空き瓶をガラス瓶に再利用する動きが始まりました。カレット全体の使用率は50%を突破し、原料や燃料エネルギーを節約できるようになったのです。
・2000年にはRマーク瓶が登場
2000年、日本酒造組合中央会と日本ガラスびん協会により、Rマーク瓶が生み出されました。Rマークは、規格統一された瓶であることを証明するもので、日本ガラスびん協会が認めたリターナルびんにのみ付与できます。Rマークを表示することで、リターナブルびんとそれ以外の瓶を識別しやすくなりました。
・超軽量びんの登場
Rマーク瓶の登場に伴い、日本では瓶の軽量化が進んでいきます。2000年には、日本ガラスびん協会が、瓶の軽量度を1~4のレベルで分類した「L値」を発表しました。軽量度が最大のレベル4(L値0.7未満)の瓶は「超軽量びん」と定義され、シンボルマークを表示が可能です。これにより、従来の瓶に対して約30~50%の軽量化が実現しました。
ガラスは世界中で昔から親しまれてきましたが、日本でのガラス瓶の歴史は意外と近年であることがわかりました。現代に至るまで、日本のガラス製造技術が目覚ましい発展を遂げてきたことを考えると、ガラス瓶は今後ますます進化していくと言えるでしょう。
これを機に、日頃何気なく使っているガラス製品にも目を向け、ガラスの歴史について考えてみてはいかがでしょうか。